モテキだった頃、顔が今の半分だった編集担当のこと。

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昨日は茗荷谷で


「本番力」出版記念講演で

地方をツアーして無事終わった打ち上げがありました。


参加者は

ポプラ社さんの


奥村専務、碇さん(編集担当)、ペリエスタッフ、和田


写真は私しか録ってなくて

しかもこれしかないのです。


奥村専務とカニ

菊地とお刺し身

   ↓

和田裕美公式ブログ



ところで、

なんで茗荷谷?


と、思っていたら


新宿荒木町でうなぎやさんをやっていた

人が、どうやら茗荷谷にお店ごと

引越されたようで

そのお店を使ってあげたいという


奥村専務のお気持ちから

そうなったそうなのです。


奥村専務はすごく気の利く人です

本の販売に命がけなので

いつもお休みなく活動されています



また

業界の有名人なので


私がふと

「●●新聞から●●新聞に変えたい」と言うと


いきなり目の前で

その新聞社さんに電話されて


「和田裕美さんが

 おたくの新聞とろうとか

 言ってるんですよ

 かわりますね」


●●新聞の方と電話でお話し

お礼を言われて

私の購読が決定しました (笑)



何気ない一言で

いろんなことが

早く確実に決まるものです。はい。(-_-)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



さて、編集担当の碇(いかり)さんのことは

何度か書いていると思いますが


昨日、奥村専務が


「碇はね~昔

顔がもっと細くて

モテモテだったんですよ~」と言いました。


碇氏、照れて否定するかと思いきや



「そうなんですよね~

 モテキだったんですよね」と碇。(もはや、よびすて)


「まじですか?」と心底驚く私。


「いや、碇さん、かっこいいですもん

 いまでも」 と、きっとお世辞に違いない

言葉でフォローするペリエ女性群。



顔、今の

半分くらいの大きさだったんですって。


(碇さんの

写真とって

今度、ビフォー、アフターしますね

待っててくださいね(笑))


で、話しは続く。



奥村専務(以下奥) 


「あのとき、編集会議で

 碇がだした提案、ぜったい売れなそうな

 企画で、僕は反対したけれど

 結局、碇の押しで 出版したら 

 売れたんだよね、 25万部売れたんだった」


和 「なんの本ですか?」


奥 「『ひろしです』って本」


碇 「そうそう、あの時代ですよ」


奥 「売れてびっくりしたよな

   あの本で、碇は、   編集者として

  一目おかれる存在になったんだよな」


碇 「いやいや、売れているお笑い芸人の本は

   僕が読みたいと思って」


和 「すごいですね。その後

   数々のヒットを出したんですもんね」


碇 「うん、あの頃が僕の

   モテキだったんのかなと思いますね」


奥 「そうそう、顔が半分だったんですよ」


・・・・・・・・・・・


と、なぜか

碇モテキの話題が

ループしつつ続き

夜は更けましたとさ..(笑)



ひろしです!ってあったですね

彼は元気ですか?

また聞きたいなぁ。





ひろみです!

ひろみです!

ひろみです!


いま、大阪むかう新幹線のなかですたい


では~

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