マララさん「なぜ銃を与えることは簡単なのに本を与えるのは難しいの?」この質問に答えられますか?

どうも わだです。

私がとても敬愛している先生がいます
その人は
ぜんぜん有名な人でなく
本を出しているわけでもなく
お金もちなわけでもなく
ただ、田町でひっそり
整体院をやっている人なんです。

私がその先生に
会いにいくときは
もちろん、身体を治してもらうわけだけど
なにより
先生の話を聞くのが楽しみで。
施術が終ってからも
先生といろいろ
デイスカッションしています。

だから私は
整体にいっているはずなのに
そこに4時間も滞在しているんです(笑)
(先生、ありがとう)

いつも先生は私に言います

「今、自分の頭で
考える人が少なくなったよね」と。

情報が流れてきて
「ああ、そうなんだ」と思う
けれど、
「ああ、そうなんだ」と思っただけで
そのまま、情報は
スループット
していってしまうのだ。

先生は会うたびに
私に新しい課題をくれて
それを考えろという。

だから私は
まえよりも
もっと考えるようになったのです。

あるとき
ノーベル平和賞を受賞した
マララちゃんの話になったとき
先生はこう言いました。

「あのさ
 マララさんは言ったでしょ。
【なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、
本を与えることはとても難しいのでしょうか。】
って。
これに答えることができる
大人はどれくらいいるんだろう?」

マララさんの言葉を
繰り返しますね

−なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、
平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。
なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。
なぜ戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難しいのでしょうかー

未来は
私たちが
どのような教育を
子供たちに与えるかで
決まっていくのだと
私は思っているのだけど

けど、
教育を与えないのはなぜ?

けど、
そのかわりに
銃を与えるのはなぜ?

先生はもうすっかり
答えがわかっているのに
私になんども問いただします。

質問に私が迷うと
先生は

「そうすることで
 誰が何を得するのだ?」と
ヒントをくれることもあります。

そうして
施術なんかとっくに
終っているのに
足湯をしながら
気付いたら4時間も5時間も
滞在していて
(先生の商売の邪魔しているのだな。。)
大きな気付きをもらって
帰ってくるのです。

子供は親に聞きます

「どうして
 大学にいったほうがいいの?」

「それは、いい会社に
 就職できるからよ」

「どうして
 いい会社に就職したほうがいいの?」

「それは安定しているからよ」

「どうして安定しているのがいいの」

「どうしてって
 お金に困らないからよ

「どうして
 安定してたら
 お金に困らないの?」

こんな会話が
今日もどこかで
あるかもしれないです

でも、
このお母さんの答えで
ほんとうに
こどもの純粋な「どうして」は
解明されていないのです。

大人はもっと
「どうして」を深めないといけないのかも
 しれないです。

あと2014年も少しで終ります

でも、自分と見つめ合う時間はまだ
残っていますよね。

ではね

和田裕美

もももよく考えているようです。

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「マララさん「なぜ銃を与えることは簡単なのに本を与えるのは難しいの?」この質問に答えられますか?」へ 7件のコメント

  1. たくだいママ さんより 2014年12月18日 12:30 PM

    和田さん、いつもいろんなきっかけをくださってありがとうございます。
    私も整体の先生に体を整えていただきながら、いろんな話をして、心も整えていただいています。
    今回のテーマはずしん!ときますね。週末、我が家で高校生と中学生の息子たちと、意見交換してみたいと思います。
    政治、宗教については深堀りしにくい話題ですが、そこらへんの話って、いきつくところ生き方の話になるんですよね。家庭内でも思想は人それぞれなので、うちではけっこう話していて、そこで訓練しています。許容の訓練、説明の仕方の訓練ですね。
    陽転思考も、一旦考えてからの陽転思考ですね!これからもよろしくお願いします。

    返信

  2. 和田裕美
    和田裕美 より 2014年12月18日 2:25 PM

    たくだいママさん、ありがとうございます。
    そんな意見交換ができる親子ってすごいすてきですね、
    すばらしいすばらしいすばらしいです。

    返信

    • たくだいママ さんより 2014年12月22日 1:07 PM

      和田さん、返信コメントありがとうございます。とてもうれしくて子供らに自慢しました(笑)。週末の息子らとの意見交換の結果は・・・
      中学1年「人は弱いから自分を守るために武器を手にするんだと思う。教育で身を守るのは難しいから。」
      高専1年「てっとり早く武器を作って、与えて、それで牛耳りたいと思う人がいるから、武器はなくならない。教育で国が強くなるのは時間がかかるから、目先に走り武装化しようとする。でも、教育を受けなければ、本当に国が豊かになることはないから、それに気が付かなければ本当の豊かさは手に入らない。」とのことでした。
      戦争はいけない、ということを肝に銘じあった夜でした。
      いいチャンスをあいがとうございました。神社に大祓いの人形もおさめましたので、今年の残り日数を頑張ります!

      返信

  3. 通りすがりのまんじゅう教徒 さんより 2014年12月18日 8:15 PM

    「なぜ銃を与えることは簡単なのに本を与えるのは難しいの?」

    僕なりに考えた解答としては、
    人間は、効果が現れるのに時間がかかるモノよりも、即効性のあるモノを欲しがる傾向があるからだと考えます。
    この場合、本・教育は前者に、銃などの武器は後者にあたります。
    そして、武器(銃などの物理的なものに限らず、権力も含まれます)という、相手を殺してでも自分の意思を押し通せるモノの力に飲み込まれてしまうと、自分の意に反する存在を許せなくなり、力で抑え付けようとするようになります。
    彼らが欲しいのは思い通りに動くロボット兵士のような人間であり、自分の意思を持っている人間はいらないのです。
    こういった人たちが力を振るっている世界では、彼らの意に反するようなことを学ぶのは難しいものがあります。

    だから、「銃を与えることは簡単なのに本を与えるのは難しい」のでしょう。

    返信

    • 和田裕美
      和田裕美 より 2014年12月19日 7:47 AM

      通りすがりのまんじゅう教徒さん。 そうですね。教育を与えると人は賢くなる、そうなって欲しくない人がいるのですよね。「思い通りに動くロボットが欲しい」まさに。考えてくださってほんとうにありがとうございます、さすがほんとうにすばらしいすばらしいです

      返信

  4. 叶絵ひかり さんより 2014年12月18日 11:34 PM

    和田さんこんばんは!和田さんが大好きな者の1人です(^-^) いつも楽しく拝読しております。

    なぜ銃を与えるのは簡単なのに、本を与えるのは難しいのか。

    私なりの答えは、人間のエゴが肥大化しているからだと思います。
    本を与えるのは、つまり愛を与える事だと思うのです。愛を与えるためには自分が愛に溢れていなければあげられない。愛から遠いものとして、人と比べたり、つまり他の国と比べて自国がすごいと思いたかったり、権力主義に走ったり。それらは全て愛の欠乏からくる人間のエゴで、それが集団心理となってしまうのだと思います。
    その国にある欠乏感の強さが、愛を生むのでなく、さらに苦しみを生むエゴの方を選んでしまう。
    マイナスに転がってしまったボールをプラスの方へ方向転換して転がすのは、余程の強いパワーがないと、なかなか方向転換できないと思うのです。

    だから、銃を与える事はとても楽なのだと思います。

    だけど愛の欠乏は、愛でしかうまらないので、私たちにできる事は自分が愛で溢れる事。身近な人を愛する事、自分も相手も大切にする事だと、原点に戻るという事なのかなと思いました。
    大切な事を思い出させて頂いたブログでした。

    長々と失礼しました。

    いつも、発信して下さってありがとうございます(^-^)

    返信

    • 和田裕美
      和田裕美 より 2014年12月19日 7:51 AM

      ひかりさん。考えてくださってありがとうございます。そうですね。
      教育を与えれば、お互いを理解しあう愛が生まれますよね。自分の頭で考えて真実を見出す目を持つことができる。
      ほんとうにすばらしいすばらしいです!ありがとう。

      返信

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